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生駒には蚊が多い2005年08月12日

1週間ほど夏休みを取って、娘の祖母が住む奈良の生駒へ行ってきました。

関西に馴染みのない方のために説明しておきましょう。 奈良県の南から3/4は吉野の山で、北から1/4くらいは盆地なのですが、 この奈良盆地の西の縁に、生駒山という600m級の山があります。 独立峰ではなく、南北に長い山脈になっていますが、この山脈の東側に標高200mから300m程度の、矢田丘陵と呼ばれる丘が連なっています。この生駒山脈と矢田丘陵に挟まれた地域が生駒谷で、饒速日が降臨したとの噂もある天の川が北側に、花魁姉妹に振られた関取名としても知られる竜田川が南側に流れています。これらの川沿いに出来たのが生駒の町ということになります。 大阪から見て鬼門に当たるとかで数千年にわたって辺鄙な土地だったのですが、ここ40年ほどで急速に発達してきました。市制施行は1970年頃です。

さて、この生駒に娘の祖母 (僕の実の母親) が住んでいるので滞在しました。関西方面には娘の従兄姉も多く、皆で相手してくれるので僕と嫁はんは楽ができます。非常に助かりました。

しかし、生駒は蚊が多いのです。娘もいままで虫に刺されないように注意していたのですが、生駒では食われまくってあっというまに真っ赤になってしまいました。生駒には蚊が多いという説話もあって、

昔、文武王 (来歴不祥) という大変人の生き血を吸うことの好きな王があった。家来達が心配して、その皇子等と計り、王をあざむいて生駒山へ連れ出した。そして大きな岩屋の中へ入れ、戸をしめてしまった。家来達は皇子に決して開けないようにと止めておいたのに、三十日ほどたった頃、もう大丈夫だろうと思って、皇子はひそかに岩屋の戸を開けてしまった。ブンブンとうなりを上げて、幾万とも知れぬ蚊が、途端に飛び出していったという。それは文武王が蚊に化けた姿であった。それで今でも蚊が多いそうな。

という話もあったりします。これは生駒市誌の資料編4 (1980) から書き写しました。出典は『奈良県風俗志南生駒編』(大正4) だそうです。

あちこちに話が飛びまくっていますが閑話休題。今までは娘の虫刺されには子供用のムヒを使っていました。しかし娘の体が赤くなってしまいました。こんなことではモデル事務所にスカウトされても恥ずかしくて表に出せません。出さないけど。 そんなわけ (?) で、子供用ムヒの効力では我慢できなくなってきました。2歳11ヶ月にもなれば子供用にこだわらなくても安全には問題ないかと、一気に大人用のキンカンを試してみることにしました。しみてきついかもしれないと思っていたのですが、意外に我慢できるようです。偉いぞ娘よ。治りもだいぶ早くなりました。結局完治には1週間くらいかかりそうですけどね。